シャーレの中で育てられた小さな脳の"かけら"が、まるで体内時計を持つかのように、何年もの歳月を"記憶"していることが明らかになりました。米ハーバード大学(Harvard University)とブロード研究所(Broad Institute)の研究チームは、ヒトiPS細胞から作った脳オルガノイド(brain organoid)を5年以上、最長で7年以上にわたって培養することに成功し、これまでの世界記録(694日)を3倍以上更新したと発表しました。この研究成果は、2026年8月19日に科学誌ネイチャー(Nature)に掲載されました。

論文「Human brain organoids record the passage of time over multiple years(ヒト脳オルガノイドは数年にわたる時間の経過を記録する)」を発表したのは、幹細胞・再生生物学を専門とするパオラ・アルロッタ博士(Paola Arlotta、ハーバード大学ゴルブ家記念教授)らの研究チームです。共同筆頭著者は、現在ミラノ大学に在籍するイレーネ・ファラヴェッリ博士(Irene Faravelli)と、ユトレヒト大学医療センターに在籍するノエリア・アントン=ボラーニョス博士(Noelia Antón-Bolaños)です。

培養液の改良で寿命を大幅に延長

研究チームは、神経細胞の電気活動を促進する成分と、エネルギー源となるアミノ酸を添加した独自の培養液を開発し、興奮性ニューロンの生存期間を大幅に延ばすことに成功しました。これにより脳オルガノイドは長期培養に耐えられるようになり、現在も一部は7年以上生存を続けているといいます。

細胞は「発達の記憶」を保持していた

研究チームは、培養開始から6ヶ月〜5年以上にわたる8つの時点で、新たに作製した34個のオルガノイドに既存データを加えた合計110個、約42万5000個の細胞について、シングルセル解析(single-cell RNA sequencing)を実施しました。さらに全ゲノムのメチル化解析(エピジェネティック時計)によって細胞の「生物学的年齢」を調べたところ、培養時間の経過とin vitro(生体外)での細胞の分子的な老化パターンが精密に一致することが分かりました。5年間培養したオルガノイドの遺伝子発現パターンは、ヒトの4歳児の脳に相当する段階まで達していたということです。

特に興味深いのは、異なる培養期間のオルガノイド由来の前駆細胞を混合してキメラオルガノイドを作る実験です。長期間培養されて「年を取った」前駆細胞は、通常であれば2〜3ヶ月かけて生み出す後期段階のニューロンを、わずか2週間で作り出すことができました。これは、細胞自身が内部に「時計」を持ち、これまで経過した時間を記憶していることを示す直接的な証拠だと研究チームは説明しています。

アルロッタ博士は「まるで発達の時間が"ワープ"したかのようだ。オルガノイドの細胞は、培養されてきた時間を記録し、思い出すことができる。この細胞内在性の時計は、ヒトの脳が本来持つ発達メカニズムを反映しているのだろう」と述べています。

出生後の脳発達研究への扉を開く

これまでの脳オルガノイド研究は、培養期間の制約から胎児期の脳発達を模倣する段階にとどまっていました。しかし今回の成果により、動物モデルでは再現が難しいヒトの出生後の脳発達過程や、成人期以降に発症する神経疾患のモデル化、薬剤スクリーニング、再生医療への応用など、新たな研究の扉が開かれることになります。研究チームが構築した大規模データセットは他の研究者にも公開される予定で、脳発達研究のコミュニティ全体に貢献することが期待されています。

[Nature article]

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