実験には失敗がつきものです。なぜかというと、研究を推し進めるための実験は、ひとつひとつの実験結果をどう解釈し、次の実験をどのように計画するかによって、真実に近づくための手段となるか、道を踏み外して結局は無駄になってしまうか分かり得ないからです。
私が在職していた頃、卒業研究をほぼやり終えた学生が、卒論発表の時期になって、「実験方法と結果がはっきりしている研究テーマをもらえれば、このようなつまらない内容にはならなかった。」と愚痴って、近くにいた博士研究員や大学院生が慌てたことがありました。
彼の実験は失敗だったわけではなく、意外性のある結果が得られなかっただけです。どこぞのビッグジャーナルに論文発表することを夢見るような人は、これを失敗ととります。
しかし、実験そのものの失敗がない限り、ネガティブな結果でも立派な成果といえます。
本当は、一見つまらない結果でもしっかり記録して発表できることが望ましいです。前置きが長くなってしまいましたが、今回は抗体作成時の失敗についてです。
私が東京大学医科学研究所へ異動して間もない頃です。上司であった教授の研究テーマを手伝うことになり、白血球の活性酸素産生系に関わるたんぱく質の抗体を作り始めました。当時は、遺伝子が単離されつつある時期で、他の研究グループから配列情報を入手し、翻訳産物のアミノ酸配列をつらつら眺めて、免疫原に使うペプチドの設計をしていました。二つの研究室から別々に発表された配列をもとに、分子量47K のたんぱく質の N末端に近いところと C 末端を含む比較的長い部分を選び、ペプチドを化学合成しました。
その頃はアプライドバイオシステムズ社の430A 合成機を使用しており、tBoc 法で合成していました。(今では通常、よりマイルドな Fmoc 法で合成します。)
N 末端アミノ基を保護する tBoc は、トリフルオロ酢酸で遊離するため、ペプチドを伸長するステップごとに酸処理する必要があり、ペプチドにとっては過酷な条件です。また、側鎖についている保護基は、この条件下では外れず、できあがったペプチド鎖の脱保護は、より強力なトリフルオロメタンスルフォン酸でおこないました。47K たんぱく質のC末端はアルギニンに富んでいて、このとき使っていたアルギニン誘導体は脱保護されにくいので、何となく嫌な予感もありました。当時は合成したペプチドをチェックするための質量分析計もなかったので、抗体を作ってみるしかなかったです。 47Kたんぱく質の二箇所の抗体が、白血球抽出液を SDS-PAGE 展開したイムノブロットで同時に47K 付近を染めることがなく、困った毎日でした。抗体産生は十分に上昇しましたが、 C末端側の抗体では何も染まらないのです。配列を疑い始めたのは、抗体が採れてから一ヶ月以上経ってからです。
N 末端側の抗体は、47K のバンドを染めていて、こちらは出来たなという感触がありました。配列をみる限り、抗原性は C末端のほうが高いように思えます。遺伝子の配列を発表した研究者に問い合わせると、別のグループと同じ結果だから間違っていないという返事で、しばらくは悶々とした日が続きました。そうこうするうちに、何気なくデータベースを見ると、修正されているではありませんか! あとからわかったことですが、当時の DNA ポリメラーゼが間違える配列があって、フレームシフトを起こしたとのことです。
急遽、正しい C末端配列で抗体を作り直し、今度は良い抗体ができましたが、何ヶ月かは無駄になりました。 今回の失敗は、遺伝子の配列を鵜呑みにしたことが原因です。
しかし、ひとつのたんぱく質に対して二箇所の抗体を作っていたため、失敗に気づくのが早かったことが救いでした。リコンビナントたんぱく質や遺伝子欠失細胞をもっていれば、さらに確かだったでしょう。実験の失敗を最小限に止めるためには、可能な限り裏をとる実験を組んで結果の論理性をチェックすることです。
