脳科学の領域において、神経細胞同士の対話(コミュニケーション)の仕組みを根本から揺るがす、極めて重要な発見がなされました!私たちの脳内でこれまで「固定された回路」と考えられていた電気的なつながりが、実は環境や刺激に応じて柔軟に変化する性質(可塑性)を持っていることが突き止められたのです。
電気シナプス:これまで見過ごされていた「脳内の高速道路」
脳の中の神経細胞(ニューロン)は、互いに情報をやり取りすることで複雑なネットワークを形成しています。このつながりの大半は、化学物質( neurotransmitter: 神経伝達物質)を介して情報を受け渡す「化学シナプス(chemical synapses)」として知られており、その伝達効率が長期的に変化する現象(可塑性)は、記憶や学習の基盤として広く研究されてきました 。
その一方で、細胞同士が直接チャネルで結ばれ、電気信号をほぼ時間差なしで高速に伝える「電気シナプス(electrical synapses)」も、哺乳類の視床や大脳皮質の抑制性ニューロン(ギャバ作動性ニューロン)の間に数多く存在することが分かっています 。しかし、この電気シナプスが化学シナプスのように「効率を変化させることができるのか(変調(modulation)されるのか)」という点については、哺乳類の脳においてはほとんど検証されていませんでした 。
この未開拓の領域に挑んだのが、キャロル・E・ランディスマン(Carole E. Landisman)博士とバリー・W・コナーズ(Barry W. Connors)博士の研究チームです 。彼らの画期的な研究成果は、世界的に権威のある学術誌『Science』に「「Long-Term Modulation of Electrical Synapses in the Mammalian Thalamus(哺乳類視床における電気シナプスの長期的変調)」」というタイトルで発表されました 。
視床網様核で起きていた「長期間のブレーキ」
ランディスマン博士らの研究チームは、ラットの脳から取り出した「視床網様核(TRN: thalamic reticular nucleus)」と呼ばれる領域の抑制性ニューロンに着目しました 。視床網様核は、脳に届く感覚情報(視覚や聴覚など)のゲートキーパー(門番)として、どの情報を意識にのぼらせ、どの情報を無視するかをコントロールする重要な役割を担っています。
チームがこの領域の神経細胞を詳しく解析したところ、脳内に自然に存在する神経伝達物質や、特定の刺激薬(アゴニスト)によって「代謝型グルタミン酸受容体(mGluRs: metabotropic glutamate receptors)」というスイッチが活性化されると、電気シナプスの結合強度が「長期間にわたって減少(減衰)」することが世界で初めて明らかになったのです 。
脳の柔軟なネットワーク切り替え
電気シナプスが長期間にわたって弱まるということは、それまで高速で同期して働いていた神経細胞たちの連動性が変化することを意味します。
これまでの科学界では、電気シナプスはまるで「一度配線されたら変わらない固定された電子回路」のように捉えられがちでした。しかし今回の発見により、電気シナプスもまた、周囲の化学的なシグナル(グルタミン酸など)を感知して、その結合の強さをドラスティックに変えられる「柔軟な回路」であることが証明されました 。これにより、脳は状況に応じて神経ネットワークの同期の度合いをコントロールし、高度な情報処理を行っている可能性が浮き彫りになりました。
これからの脳科学・神経疾患研究への応用
今回の発見は、脳がどのようにして注意を集中させたり、睡眠と覚醒のサイクルを制御したりしているのかという、根本的なメカニズムの解明に直結します。
さらに、視床の神経ネットワークの異常は、てんかんや意識障害、精神疾患などとも深く関連していると考えられています。電気シナプスの長期的変調(可塑性)の仕組みをさらに詳しく解き明かすことで、これらの神経疾患に対する全く新しいアプローチの治療法や治療薬の開発に繋がることが大いに期待されています。