窒素肥料の過剰使用が引き起こす植物ストレスに対する新たな分子メカニズムを解明 — トマトの耐性向上に寄与するSlTrxhタンパク質の役割

農業における窒素肥料の過剰使用は、作物の収量を向上させる一方で、深刻な環境負荷をもたらす「諸刃の剣」となっています。施用された窒素のうち、作物に吸収されるのは半分にも満たず、残りは土壌や水系へと流出し、その品質を劣化させます。特に硝酸塩(nitrate)によるストレスは植物細胞に活性酸素種(ROS: reactive oxygen species)を過剰に蓄積させ、酸化ストレスを引き起こし、生育に悪影響を及ぼします。この問題に対処するため、科学者らは植物の分子応答メカニズムの解明を進め、窒素ストレスの影響を軽減する技術の開発に取り組んでいます。

2024年7月10日、中国・昆明理工大学(Kunming University of Science and Technology)の研究者らは国際的な共同研究の成果を『Horticulture Research』誌に発表しました(DOI: 10.1093/hr/uhae184)。本研究では、転写因子SlMYB86によって制御されるSlTrxhタンパク質が、トマトにおける硝酸塩ストレスからの防御に重要な役割を果たすことを明らかにしました。SlTrxhの発現を促進することで、酸化ストレスによる細胞ダメージを大幅に軽減し、抗酸化酵素の活性が向上することが確認されました。本研究は、ストレス耐性作物の開発に向けた分子基盤を提供するものです。論文のタイトルは「SlTrxh Functions Downstream of SlMYB86 and Positively Regulates Nitrate Stress Tolerance Via S-Nitrosation In Tomato Seedling(SlTrxhはSlMYB86の下流で機能し、S-ニトロシル化を介してトマト実生の硝酸ストレス耐性を正に制御する)」です。

 

硝酸ストレスに対抗するトマトの分子メカニズムとは?

本研究では、トマトの細胞レベルでの硝酸塩ストレス応答に焦点を当てました。転写因子SlMYB86は、SlTrxhのプロモーター領域に結合することで、その発現を促進します。硝酸塩ストレス下では、SlTrxhは特定のシステイン(Cys54)においてS-ニトロシル化(S-nitrosation)という化学修飾を受けることで抗酸化機能が強化されます。この修飾はまた、ストレス応答に関与する別のタンパク質SlGRX9との相互作用を促進し、酸化ストレスの緩和を助けます。これらの相乗効果により、植物細胞内の活性酸素種(ROS)レベルが低下し、細胞ダメージからの防御が可能となるのです。

遺伝子改変実験によって、この分子機構が実際に植物の成長やストレス耐性にどのような影響を及ぼすのかが詳細に検討されました。SlTrxhを過剰発現させたトマトは、硝酸塩過多の環境下でも健全な成長を維持し、根の伸長が促進されるとともに、酸化ストレスが顕著に低減されることが示されました。一方、SlTrxhの発現が抑制されたトマトでは、生育不良、活性酸素種の増加、酸化ダメージの蓄積といった負の影響が確認されました。これらの結果は、SlTrxhが硝酸ストレス耐性を高める上で極めて重要な役割を果たしていることを強く示唆しています。

 

研究の意義と未来への展望

本研究の主導者であるフイニ・シュー博士(Huini Xu, PhD)は、今回の発見が持つ意義について次のように述べています。

「本研究は、植物が環境ストレスに適応する際に働く複雑な分子経路を解明するものです。SlTrxhのようなタンパク質と、SlMYB86のような転写因子の相互作用を活用することで、農作物の改良が可能となり、より持続可能な農業への道を開くことができるでしょう。」

今回の発見は、トマトに限らず、さまざまな作物に応用できる可能性を秘めています。世界的に食糧需要が増加するなか、環境ストレスに耐性を持つ作物の開発は急務となっています。SlTrxhやSlMYB86を標的とした遺伝子工学や選抜育種を活用することで、窒素ストレスに強い作物を設計できる可能性があります。この技術が確立されれば、収量の向上や品質の向上が期待されるとともに、窒素肥料の使用量を削減することで、環境負荷の軽減にもつながるでしょう。

持続可能な農業の実現に向けたこのようなイノベーションは、窒素汚染の影響を緩和すると同時に、増加する世界人口の食料供給を支える重要な鍵となるはずです。

[News release] [Horticulture Research article]

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