数十年来の論争に決着、脳ニューロンの正体は"専門家"より"何でも屋"だった
「一つの神経細胞は、一つの役割に特化している」——脳科学の世界で長年信じられてきたこの考え方に、大きな見直しを迫る研究成果が発表されました。数万個ものニューロンの活動を大規模に解析した結果、脳の大部分の領域では、特定の機能だけに特化した"専門家"ニューロンはむしろ例外であり、多くのニューロンが複数の役割をこなす"何でも屋(jack-of-all-trades)"であることが明らかになったのです。
研究の背景
脳の神経細胞(ニューロン)が、特定の機能や情報だけに反応する"専門特化型"なのか、それとも複数の機能に関与する"多機能型"なのかは、神経科学において数十年来の論争のテーマでした。視覚野などの一次感覚野では特定の刺激に強く反応する専門化したニューロンが確認される一方、他の脳領域では様々な情報に反応する「混合選択性(mixed selectivity)」を持つニューロンが報告されており、動物種や脳領域、課題設定によって結果が異なるため、統一的な結論が得られていませんでした。
研究の詳細
米コロンビア大学ザッカーマン研究所のステファノ・フーシ博士(Dr. Stefano Fusi)とリアム・パニンスキー博士(Dr. Liam Paninski)らの研究チームは、フランス・パリ脳研究所のロレンツォ・ポサーニ博士(Dr. Lorenzo Posani)、スイス連邦工科大学ローザンヌ校のシュチー・ワン博士(Dr. Shuqi Wang)らと共同で、国際脳研究機構(International Brain Laboratory)が公開している大規模データセットを解析しました。このデータセットには、マウスが視覚刺激をもとに意思決定を行う課題を実行している最中に記録された、43の大脳皮質領域にまたがる14,000個以上のニューロンの活動が含まれています。研究チームは、縮小ランク回帰(RRR: Reduced-Rank Regression)というモデルを用いて、一つ一つのニューロンがどのような時間的・選択的な応答パターンを示すかを詳細に特徴づけました。
主要な発見
解析の結果、視覚野などの一次感覚野を除くほとんどの大脳皮質領域において、特定の情報だけに反応する「カテゴリー化」された専門特化型のニューロンは稀であり、むしろ多様な情報に応答する多機能型のニューロンが主流であることが判明しました。専門特化型のニューロンは"規則"ではなく"例外"だったのです。一方で、個々の脳領域内では専門化が見られなくても、大脳皮質全体を俯瞰すると、解剖学的な接続関係を反映したクラスター構造が浮かび上がることも分かりました。研究チームは、こうした多機能型ニューロンの集団が高次元的な情報表現を可能にし、後段の神経回路が情報を効率的に読み出す(線形分離可能にする)うえで有利に働いていると考察しています。
研究の意義
今回の成果は、「一つのニューロンが一つの機能を担う」という従来の見方から、「ニューロン集団が高次元的かつ多様な情報表現を担う」という考え方へのパラダイムシフトを促すものです。脳が一つの神経回路で複数のタスクを柔軟にこなせる仕組みの理解につながるほか、精神疾患や神経疾患における情報処理異常の解明にも役立つ可能性があります。研究チームは今後、米カリフォルニア工科大学のウーリ・ルティスハウザー博士(Dr. Ueli Rutishauser)のグループと共同で、ヒトを対象とした検証や、より複雑な課題設定での追試を進める予定です。
本研究論文は、2026年7月15日に『Nature』誌に掲載されました。タイトルは「Rarely Categorical, Highly Separable Representations along the Cortical Hierarchy(大脳皮質の階層に沿って現れる、稀にカテゴリー化されない高分離能表現)」です。
