質量分析屋の髙橋です。前回から大分期間が空いてしまい、恐縮です。久しぶりの更新になりますが、今回は質量分析イメージング(MSI)ネタの3回目として、MSIで得られるデータ特にマススペクトルと、MSI装置に用いられる質量分析部について書いてみます。

前回の記事(質量分析イメージングについて-2)でも書いた通り、MSIではレーザー(MALDI)や帯電液滴(DESI)の照射によって、微小領域からイオンを発生させます。しかし、如何に微小領域と言っても、そこには非常に多くの物質が存在し、MSIの1つ1つのデータポントから得られるマススペクトルは、複雑な混合物の状態になります。MSIはLC/MSのようにMSの前段に成分分離の手段がないために、基本的には質量分析部でイオンの選択性を確保する事が必要になります。

 一方、イオンの選択性云々の前に、これは前回のイオン化の時に書こうと思っていた箏なのですが、忘れてしまったのでここで書いておきます。それは、イオン化抑制についてです。直ぐ上で書いたように、MSIでは混合物の分離手段がないために、生体試料などの複雑な混合物状態の試料においては、ターゲット物質は内因性の夾雑物によって、「必ず」イオン化抑制を受けます。イオン化抑制の程度は、試料やターゲット物質の種類、夾雑成分とターゲット物質との性質の関係性(主にはイオン化効率)に依って当然異なりますが、「必ずイオン化抑制は受ける」箏を把握しておく必要があります。筆者は、プレッパーズの仕事でMSIの受託分析を頻繁に行います。その際、ターゲット物質が決まっていて標品が有るときは、コントロール試料の切片に標品を添加し、スライドガラス上に滴下した標品とシグナル強度を比較して、イオン化抑制の程度を見積もるのですが、10,000倍程度のイオン化抑制を受けていた箏があります。MSIでの定量分析のハードルが高い主な理由は、イオン化抑制にあると思います。

 

さて、ここから、MSIでイオンの選択性を確保するために用いられている、主に3つの方法(装置)を紹介します。

 

 1つ目は、質量分解能によってイオンを識別する事です。MSIに高質量分解能の装置が使われているのはその為です。質量分解能とは、近接するm/zのイオンを分離する能力の事で、質量分解能が高い程、近いm/zのイオン同士を分離してそれぞれのイオンのMSI画像を得る事が出来ます。一例を図1に示します。

 

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図1 ある試料のMSI画像(左)と緑と赤の部分のイオンプロファイル(右)
(ブルカージャパン株式会社技術資料より)

 

 図1の緑と赤で示したイオンのm/z差は僅かに0.003であり、この2つのイオンを完全に分離するために必要な質量分解能は、約270,000(808/0.003=269,300)です。このデータは、市販装置では最高の質量分解能が得られるフーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析計(FT-ICR-MS)を用いて取得されたものです。異なる2つのリン脂質の[M+H]+と[M+Na]+が近いm/z値を示した例であり、生体組織でリン脂質をターゲットとしたMSIでは、それ程珍しくはないでしょう。もしこの組織の抽出液を逆相のLC/MSで測定すれば、この2つのリン脂質はカラムで分離できるので識別可能ですが、MSIではこれだけの質量分解能の装置を用いないと識別する事は出来ません。

 

 2つ目は、三連四重極質量分析計(QqQ-MS)による選択反応モニタリング(selected reaction monitoring, SRM)を用いる事です。LC-QqQ-MSによるSRMは、夾雑物の多い試料中の微量成分の定量分析に多用されていますので、ご存じの方は多いと思います。QqQ-MSをMSIに用いる事ができる装置は、Waters社からDESIのイオン源を装着して唯一市販されています。SRMについてご存じない方もおられると思いますので、ここで簡単に説明しておきたいと思います。


 SRMは、主にQqQ-MSを用いて実施可能な測定法で、MS/MSの一種です。MS/MSについては、このコラムで以前3回にわたって解説しているので、参考にしてください。


MS/MS(タンデム質量分析)の動作や用語(1)https://biomarket.jp/column/lcms/yt-content036.html
MS/MS(タンデム質量分析)の動作や用語(2)https://biomarket.jp/column/lcms/yt-content037.html
MS/MS(タンデム質量分析)の動作や用語(3)https://biomarket.jp/column/lcms.html

 

 そして、SRMについては、上の(2)の中で解説しています。Q-MSは質量分解能が低い装置なのでQ単独での選択性は低いですが、QqQ-MSのSRMでは特定のイオンの開裂反応をモニターする事で、高い選択性が得られます。

 

 抗マラリア剤の一種であるクロロキンを投与したマウスの、腎臓におけるクロロキンおよびその代謝物の質量分析イメージングを、DESI-QqQMSのSRMにより行いました1)。DESI溶媒にクロロキン-d5を添加し、クロロキン-d5を内標準として用いた定量分析も実施しています。論文(1)に掲載したデータを図2に示します。

 

図2  DESI-QqQMSのSRMを用いたマウス腎臓におけるクロロキンのMSIデータ

 

 3つ目は、イオンモビリティーを用いる方法(装置)です。イオンモビリティーは、イオンを衝突断面積(嵩高さ)の違いによって分離する技術です。最も典型的なのは、異性体の分離です。異性体は分子式が同じで構造や立体配置の異なる化合物の箏です。分子式が同じなので当然質量も全く同じで、質量分析において、質量(m/z)の違いで分離する箏は出来ません。MS/MSを実施し、プロダクトイオンスペクトルで異なるパターンが得られれば異性体でも識別出来る可能性はありますしかし、MSIにおいては、通常のマススペクトルとMS/MSによるプロダクトイオンスペクトルを交互に得るDDAのような測定方法を用いる箏は、基本的には出来ません。イオンモビリティーを搭載した装置を用いる箏で、異性体を分離してMSIデータが得られる可能性はあります。

 図3にその一例を示します。

 

これは、2019年のAnalytical Chemistryに掲載された論文1)からの引用です。マウスの脳における脂質のMSIデータで、m/z 756.5517イオがイオンモビリティーでは2つに分離され、モビログラムの各ピークを指定することで、異性体を分離した状態のMSIデータが得られています。


 イオンモビリティーは年々その分離能が向上しており、様々な分野での応用が期待される技術ですが、分子手段をもたないMSIにおいて最もその有用性が発揮されると思います。

 

文献
1) J. M. Spraggins, et al, Anal. Chem., 91, 14552-14560 (2019).

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