擬態の達人から学ぶ、驚異の色素生産術

カリフォルニア大学サンディエゴ校(UC San Diego)を中心とする研究チームは、自然界でも屈指の「変装の名人」たちが持つスーパーパワーを解き明かす大きな一歩を踏み出しました。タコやイカ、コウイカなどの頭足類(cephalopod)は、皮膚の色を自在に変えて周囲の環境に溶け込む能力で知られています。この驚くべき擬態を可能にしているのが、キサントマチンという天然色素を含む複雑な生物学的プロセスです。キサントマチンはその変色能力から、科学者や軍関係者の間でも長年注目されてきましたが、これまではラボでの生産や研究が極めて困難でした。

しかし、スクリプス海洋研究所(Scripps Institution of Oceanography)を率いるチームは、自然の擬態能力を理解する上での大きなブレイクスルーを達成し、キサントマチンを大量に生産する新しい手法の開発に成功しました。

 

微生物を「騙して」1,000倍の増産に成功

研究チームは、自然から着想を得た手法を用いて、バクテリア(細菌)の体内で初めてこの色素物質を大量生産させることに成功しました。この新しいアプローチでは、従来の生産方法と比べて最大1,000倍もの量を生成することができます。

これにより、光電子デバイスや熱遮断コーティング、染料、UV保護剤など、幅広い材料や化粧品への活用という新たな可能性が開かれました。

本研究のシニアオーサー(責任著者)であり、スクリプス海洋研究所およびUCサンディエゴ校のスカッグス薬学部(Skaggs School of Pharmacy and Pharmaceutical Sciences)の海洋化学者である、ブラッドリー・ムーア博士(Bradley Moore, PhD)は次のように述べています。

「私たちは、バクテリアを使ってキサントマチンという物質を初めて作る技術を開発し、その生産スピードを飛躍的に向上させました。この天然色素こそが、タコやイカに擬態という素晴らしいスーパーパワーを与えている正体です。今回の生産成功は、まだ氷山の一角に過ぎません」

2025年11月3日付の『Nature Biotechnology』誌に掲載されたこの論文のタイトルは、「Growth-Coupled Microbial Biosynthesis of the Animal Pigment Xanthommatin(動物色素キサントマチンの増殖連動型微生物バイオ合成)」です。

 

「生存」と「生産」を結びつける逆転の発想

キサントマチンは頭足類だけでなく、節足動物である昆虫にも存在し、オオカバマダラの羽の鮮やかなオレンジや黄色、トンボの体やハエの目の赤色を形作っています。

その優れた特性にもかかわらず、供給不足が研究の壁となってきました。動物から色素を採取するのは効率が悪く、化学合成による従来の方法も手間がかかる上に収率が低かったのです。

そこで、ムーア博士のラボの研究員たちは、デンマークのノボノルディスク財団バイオサステナビリティ・センターの研究者らと協力し、増殖連動型バイオ合成(growth-coupled biosynthesis: growth-coupled microbial biosynthesis)という解決策を考案しました。

研究チームは、色素の生産とバクテリアの生存を密接にリンクさせることで、微生物に「無理やり」色素を作らせる仕組みを構築しました。

本研究の筆頭著者であり、現在はスタンフォード大学の教員を務めるリア・ブシン博士(Leah Bushin, PhD)(研究当時はスクリプス海洋研究所の博士研究員)はこう説明します。

「根本的な解決のために、全く新しいアプローチが必要でした。簡単に言えば、バクテリアを『騙して』、私たちが必要な物質をたくさん作らせる方法を見つけたのです」

通常、微生物に異物の化合物を生成させようとすると、微生物にとって大きな代謝の負担となり、生産を拒もうとします。そこでチームは、遺伝子操作によって「色素と、副産物であるギ酸の両方を作らなければ生きられない」状態のバクテリアを作り出しました。バクテリアが色素を1分子作るごとに、生存に必要なエネルギー源となるギ酸も1分子作られるため、生き残るために必死に色素を作り続けるというわけです。

 

ロボットと進化が加速させるものづくり

さらにチームは、アダム・フェイスト博士(Adam Feist, PhD)(UCサンディエゴ校ヤコブス工学部の教授兼ノボノルディスク財団シニアサイエンティスト)のラボが開発したロボットを活用しました。高スループット適応進化培養(ALE: adaptive laboratory evolution)という手法を用いて、色素生産を最適化するよう微生物を進化させたのです。

また、バイオインフォマティクス(bioinformatics)ツールを駆使して、生産効率を高める鍵となる遺伝子変異を特定しました。その結果、従来は1リットルあたり数ミリグラムしか得られなかった色素が、新手法では1リットルあたり1~3グラムも得られるようになりました。

ブシン博士は、初めて実験が成功した時の喜びをこう振り返ります。

「実験をセットして一晩置き、翌朝ラボに来て大量の色素ができているのを見た瞬間は、最高の一日でした。こうした瞬間があるからこそ、科学は楽しいのです」

 

次のステップ:持続可能な未来へ

ムーア博士は、この自然に優しく非侵襲的なバイオテクノロジーの手法が、化学物質の製造方法を根本から変えると期待しています。

現在、米国国防総省や化粧品メーカーもこの素材に強い関心を示しています。軍事用の擬態技術や、肌に優しい天然のサンスクリーン(日焼け止め)、色が変わる塗料、環境センサーなど、その用途は無限に広がっています。

化石燃料ベースの材料から、地球に優しい自然由来の代替品へ。タコが持つ不思議な力が、私たちの未来をよりカラフルで持続可能なものにしてくれるかもしれません。

 [Nature Biotechnology abstract]

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